著者の前書き
この翻案を始めるきっかけを作ったのは、わたしの姪でした。ヴィザの話をしたのも、当時不登校気味だった姪が自分の居場所を見つけあぐねているのかと思ったからでした。彼女は、実家のすぐ近くに住んでいて、わたしが里帰りする度「ありがたい話」をせがむ彼女の母親とは別のムスリマの妹と一緒に小学校に上がる前からわたしのイスラームの話を聞くのを楽しみにしてくれていました。 ある年の冬、わたしは、わたしの先生(アッシャイフ・ユースフ・ムヒーユッディーン・アル=バッフール)からこの本を紹介され、一緒に読み、その直後に里帰りした際、話の素材に取り上げることを思いつきました。 今、読み直してみると最初から終わりまで著者の言わんとすることはただ一つ、あらゆる二元論を退けてタウヒード(神の唯一性)の中に没入する、ということです。最初に出てくるペアの話もヴィザの話も原著にはまったく出てきません。数回の連載を進めるうちにほぼ原著に忠実に沿った内容に変わっています。最初の部分を新たに書き直そうかとも思いましたが、せっかくなので元のままに残すことにしました。 ここに書かれたことは、理屈ではわかっても実際にそれを生きることは極めて困難でしょう。神の恩寵に触れ、そのような瞬間を味わう時を神の御許に召される前に知ることができるよう祈るばかりです。 なお、タイトルの「やさしい」は「神さま」ではなく、「話」にかかります。やさしいことばでタウヒードを解説したものですが、その内容は「やさしい」どころか、非常に難解です。やさしい表現に誘われて、ひとつひとつゆっくりゆっくり味わいながらお読みください。