日亜対訳クルアーン写経ブログ

(出典元) 中田孝[監修]・中田香織・下村佳州紀[訳]『日亜対訳 クルアーン [付] 訳解と正統十読誦注解』、松山祥平[著・訳]「クルアーン正統十読誦注解」、黎明イスラーム学術・文化振興会[責任編集]、作品社、2014

雌牛(106〜109)

 


 われらが取り消すかまたは忘れさせる徴(クルアーンの一節)があれば、それに優るか、同様のものを持ってくる。アッラーがあらゆることに全能であることをおまえは知らないのか。(2:106)



 諸天と地の王権がアッラーにあることをおまえは知らないのか。そしてアッラーをおいて後見も援助者もおまえたちにはないのである。(2:107)



 それとも、おまえたちはおまえたちの使徒を求めたいのか、ちょうど以前ムーサーが求めれたように。不信仰を信仰に替えて選ぶものがあれば、その者は中庸の道から迷ったのである。(2:108)



 啓典の民の多くは、おまえたちが信仰した後に不信仰者に戻せるならば、と望んでいる。真実が彼らに明らかになった後でありながら、自分たちの妬み心から。それゆえ、アッラーがその命令をもたらし給うまで許し、見過ごしておけ。まことに、アッラーはすべてのものに対して全能であらせられる。(2:109)