雌牛(70〜76)
彼らはいった。「それがどんなものか、われらに明かし給うよう、おまえの主に祈ってくれ。まことに牛はわれらには似通っている。アッラーが望み給うたならわれらも導かれた者となろう」。(2:70)
彼は言った。「それは、土地を耕すようには飼い慣らされてはおらず、高地に水を撒くこともない、健全で、まだらのない牛であると彼は仰せられる」。彼らは、「いまこそおまえは真理はもたらした」と言って、それを犠牲に捧げたが、あやうくしないで済ますところであった。(2:71)
また、おまえたちが一人の人間を殺し、そのことで互いに争った時のこと。そしてアッラーはおまえたちが隠したことを明るみに出し給う御方。(2:72)
そこでわれらは言った。「それをその一部で打て」。このようにアッラーは死者を生かし、おまえたちに彼の諸々の徴を見せ給う。きっとおまえたちは考えるであろう。(2:75)
その後、おまえたちの心は固くなった。それはまるで岩のよう、いや、さらに固い。というのは、岩の中には、そこから小川が湧き出るものもあれば、裂けてそこから水が流れ出るものもあり、アッラーへの懼れから崩れ落ちるものもあるからである。そしてアッラーはおまえたちがなすことについて見落とし給う御方ではない。(2:74)
それでもおまえたちは、彼ら(ユダヤ教徒)がおまえたち(の宗教)を信じることを期待するのか。彼らの一派はアッラーの御言葉を聞き、それからそれを理解した後に、知った上でそれを捻じ曲げたというのに。(2:75)
また、彼らは信仰する者と出会えば、「われらは信じた」と言いながら、彼ら同士だけになると、「アッラーがおまえたちに明かし給うたものについて彼らに語り、おまえたちの主の御許でそれについて彼らにおまえたちを論駁させようというのか、(それが)わからないのか」と言った。(2:76)