雌牛(154〜163)
またアッラーの道において殺された者を死者と言ってはならない。いや、生きている。ただ、おまえたちは感知しない。(2:154)
そして確かにわれらはおまえたちをなんらかの恐怖や飢え、そして財産、命、収穫の損失によって試みる。そして忍耐する者には吉報を伝えよ。(2:155)
(それは)苦難が襲うと、「まことにわれらはアッラーのもの、われらは彼の御許に帰り行く者である」と言う物たちである。(2:156)
それらの者は、彼らの主からの祝福と慈悲が彼らの上にある。それらの者、彼らこそ導かれた者である。(2:157)
まことにアッ=サファーとアル=マルワはアッラーの諸々の象徴(の一部)である。それゆえ、館に大巡礼(ハッジ)、または小巡礼(ウムラ)をする者はこのふたつを巡回することに咎はない。善行を自発的になした者、まことにアッラーはよく感謝し、よく知り給う御方。(2:158)
われらが下した諸々の明証と導きを、われらが啓典に於いてそれを人々に解明した後に、隠す者たち、そうした者は、アッラーが彼らを呪い給い、呪う者たちも彼らを呪う。(2:159)
ただし、悔いては戻り、(行いを)正し、(隠したものを)明らかにする者たち、そうした者をわれは顧み戻る。われはよく顧み戻る慈悲深い者である。(2:160)
まことに、信仰を拒み不信仰者として死んだ者、そうした者にはアッラーと天使と人間すべての呪いがある。(2:161)
(彼らは)その中に永遠に。彼らの懲罰が軽減されることはなく、彼らは猶予を与えられることはない。(2:162)
そしておまえたちの神は唯一なる神である。彼のほかに神はなく、慈悲あまねく慈悲深い御方。(2:163)