日亜対訳クルアーン写経ブログ

(出典元) 中田孝[監修]・中田香織・下村佳州紀[訳]『日亜対訳 クルアーン [付] 訳解と正統十読誦注解』、松山祥平[著・訳]「クルアーン正統十読誦注解」、黎明イスラーム学術・文化振興会[責任編集]、作品社、2014

雌牛(211〜215)


 イスラーイールの子孫に問え、われらが彼らにどれだけの明白な徴をもたらしたかと。そしてアッラーの恩寵をそれが訪れた後に替えるものがあれば、アッラーは応報に厳しい御方。(2:211)



 不信仰者の者たちには現世が飾り立てられ、また信仰する者たちを嘲る。だが、復活の日、畏れ身を守る者たちは彼らの上にあり、アッラーは御望みの者に計算ぬきで糧を与え給う。(2:212)



 人々は一つの共同体であった。そこでアッラーは吉報の伝達者として、また警告者として諸預言者を遣わし、彼らと共に啓典を真理をもって下し給うた。人々の間を、彼らが対立した点について裁定し給うためである。そしてそれについて対立したのは、それ(啓典)を授かった者だけで、諸々の明証が訪れた後に互い妬み合ったためであった。それでアッラーは信じる者たちを、彼らがそれをめぐって分裂していたことの真理へと、彼の御許可によって導き給うた。そしてアッラーは御望みの者をまっすぐな道に導き給う。(2:213)



 それともおまえたちは、おまえたち以前に逝った者たち(に訪れた)ようなものがおまえたちにいまだ訪れていないのに、楽園に入ると考えたのか。困窮や苦難が彼らを襲い、動揺させられ、使徒と彼と共に信仰した者たちが、「アッラーの援助はいつか」と言うほどであった。まことにアッラーの援助は近いのではないか。(2:214)



 彼らはおまえに、なにを(善に)費やすかと問う。言え、「良いものでおまえたちが費やすものは、両親、近親たち、孤児たち、貧者たち、そして旅路にある者のためにである。そしておまえたちのなす良いことは、アッラーがよく知り給う」。(2:215)

雌牛(201〜210)


 また、彼らの中には、「われらが主よ、現世において良きことを、また来世において良きことを与え給え。そして、われらを極火の懲罰から守り給え」と言う者がいる。(2:201)



 それらの者には、彼らの稼いだものの分け前がある。そしてアッラーは精算に素早い御方。(2:202)



 そして定められた日々にアッラーを念じよ。それで二日に早める者に罪はなく、遅らせる者にも罪はない、畏れ身を守る者であれば。そしてアッラーを畏れ身を守り、おまえたちが彼の御許に集められることを知れ。(2:203)



 また人々の中にはその現世での言葉がおまえの気に入る者がいる。そして彼はアッラーを彼の心中の証人とする。しかし彼は最も手ごわい論敵である。(2:204)



 そして彼は背を向けると、地上に荒廃をもたらし、田畑と子孫を滅ぼそうと奔走した。だが、アッラーは荒廃を愛し給わない。(2:205)



 そして「アッラーを畏れ身を守れ」と言われると、虚栄が彼に罪を犯させる。それで彼には火獄で十分である。また、なんと悪い寝床か。(2:206)



 また、人々の中にはアッラーのご満悦を望んで己自身を売る者がいる。そしてアッラーは僕たちに対し憐れみ深い御方(2:207)



 信仰する者たちよ、完全に服従に入り、悪魔の歩みに従ってはならない。まことに彼はおまえたちにとって明白な敵である。(2:208)



 そしておまえたちが、おまえたちの許に諸々の明証が届いた後に躓いたなら、アッラーは威力比類なく英知ある御方と知れ。(2:209)



 彼らは座視しているとでも言うのか。白雲の陰影の中をアッラーが、そして天使たちが、彼らの許を訪れ給い、事が決されること以外を。そしてアッラーの御許に万事は戻されるのである。(2:210)

雌牛(196〜200)

 


 そして大巡礼と小巡礼をアッラーのために完遂せよ。もし、おまえたちが遮られたなら、無理のない犠牲。そして犠牲がその解禁地に届くまでおまえたちの頭を剃ってはならない。それでおまえたちのうち病気の者や頭に疾患のある者には、代償は、斎戒、または喜捨、または供犠を。またもしおまえたちが安全な時で、少巡礼を享受して大巡礼に、との者には、無理のない犠牲が(課される)。そして(犠牲を)見出さない者は大巡礼の間に三日間の斎戒、そしておまえたちが戻った後に七日間を。それで全部で十日である。これは禁裏モスクに家族がいない者に対するものである。そしてアッラーを畏れ身を守れ。そして、アッラーが応報に厳しい御方であると知れ。(2:196)



 大巡礼は周知の月々である。それゆえその間に大巡礼を(自らに)課した者には大巡礼の間、睦言、不道徳、口論はない。そしておまえたちが行う善行をアッラーは知り給う。また旅支度をせよ。まことに最良の旅支度は畏れ身を守ることである。そして畏れ身を守れ、賢慮を備えた者たちよ。(2:197)



 おまえたちがおまえたちの主から御恵みを願うことは罪ではない。アラファートから押し出す時には聖標でアッラーのことを念じ、(アッラーの導き)以前にはおまえたちは迷う者たちの一部でこそあったというのに彼がおまえたちを導き給うたこと故に彼を念じよ。(2:198)



 それから人々が押し出すところから押し出せ。そして、アッラーに赦しを乞え。まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。(2:199)



 それでおまえたちがおまえたちの祭儀を果たした時にはアッラーを念じよ。おまえたちがおまえたちの父祖たちを念じるように、あるいはそれより強い念によって。それで人々の中には、「われらが主よ、現世においてわれらに(恵みを)与え給え」と言う者がいるが、彼には来世に分け前はない。(2:200)



 

雌牛(191〜195)

 


 そして彼らを見つけ次第、彼らを殺せ。そして彼らがおまえたちを追い出したところから彼らを追い出せ。そして迫害は殺害よりもより重大である。しかし禁裏モスクでは彼らがそこでおまえたちに戦いをしかけるまでは彼らと戦ってはならない。だが彼らがおまえたちと戦うなら、彼らを殺せ。不信仰者の報いはこのようなものである。(2:191)



 それで彼らが止めたなら、まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。(2:192)



 迫害がなくなり、宗教がアッラーに帰されるまで彼らと戦え。しかし彼らが止めたなら、不正をなす者以外には敵対はない。(2:193)



 聖月には聖月を。聖なる諸物には同害報復である。それゆえおまえたちに対して法を越える者には、彼がおまえたちに対して法を超えたことと同じものをもって法を超えよ。そしてアッラーを畏れ身を守れ、そしてアッラーが畏れ身を守る者たちと共におられることを知れ。(2:194)



 また、アッラーの道において費やせ、そして自分たちの手をもって破滅に投じてはならない。そして、善をつくせ。まことにアッラーは善を尽くす者たちを愛し給う。(2:195)

雌牛(187〜190)

 おまえたちは斎戒の夜、おまえたちの妻たちへの睦言が許された。彼女たちはおまえたちの衣であり、おまえたちは彼女たちの衣である。アッラーはおまえたちがおまえたち自身欺いていたのを知り、おまえたちを顧み戻り、おまえたちにを赦し給うた。それゆえ、今は彼女たちと交わり、アッラーがおまえたちに書き留め給うたものを望め。そして、暁で、おまえたちに白糸と黒糸がはっきりする時まで食べて飲め。それから夜まで斎戒を全うせよ。そしておまえたちが諸モスクに御籠りをしている間は彼女たちと交わってはならない。それがアッラーの諸法度である。それゆえ、それに近づいてはならない。こうしてアッラーは人々に彼の諸々の徴を解き明かし給う。きっと彼らも畏れ身を守るであろう。(2:187)



 またおまえたちの財産を互いの間で虚偽によって貪ってはならない。また、それを裁定者たちに持ち込み、わかっていながら人の財産の一部を犯罪によって貪ってはならない。(2:188)



 新月について彼らはおまえに尋ねる。言え、「それは人々のため、そして大巡礼のための時の区切りである」。そして忠義とは、家に裏から入ることではない。忠義とは、畏れ身を守る者である。そして家には戸口から入り、アッラーを畏れ身を守れ。きっとおまえたちは成功するであろう。(2:189)



 そしてアッラーの道のおいて、おまえたちと戦うものと戦え。だが、法を超えてはならない。まことにアッラーは法を越える者たちを愛し給わない。(2:190)

雌牛(182〜186)

 ただし、遺言者からの(による)不公平や不正を恐れるものがいれば、彼らの間を調停しても、それに罪はない。まことにアッラーはよく赦し給う慈悲深い御方。(2:182)



 信仰する者たちよ、おまえたちには斎戒が書き定められた、ちょうどおまえたち以前の者たちに課されたように。きっとおまえたちは畏れ身を守るだろう。(2:183)



 一定の日数である。それゆえ、おまえたちのうち病気か旅にある者には別の日に日数。そしてそれができる者には代償、(つまり)貧者への食べ物。そしてより一層の善を喜んでなした者は、それは彼にとってより良い。また、おまえたちが斎戒することは、おまえたちにとってさらに良い。もし、おまえたちが知っていれば。(2:184)



 クルアーンが人々への導きとして、また、導きと識別の諸々の明証として下されたラマダーン月である。それゆえ、おまえたちのうちその月に居合わせた者はそれを斎戒せよ。そして病気か旅にある者は別の日に日数を。アッラーはおまえたちに安易を望み、おまえたちに困難は望み給わない。そして、おまえたちが日数を全うし、おまえたちを導き給うたことに対し、おまえたちがアッラーの偉大さを称えるためである。きっとおまえたちは感謝しよう。(2:185)



 そしてわが僕がおまえにわれについて尋ねるなら、まことにわれは近く、われは祈る者がわれに祈る時その祈りに応える。それゆえ、彼らにはわれに応えさせよ。そしてわれを信じさせよ。きっと彼らも導かれよう。(2:186)

雌牛(177〜181)

 忠義とは、おまえたちの顔を東や西に向けることではない。そうではなく忠義とは、アッラーと最後の日、諸天使、啓典、諸預言者を信じ、その愛着にもかかわらず財産を近親たち、孤児たち、貧者たち、旅路にある者、求める者たちに与え、奴隷たち(の解放)に費やし、礼拝を遵守し、浄財を払い、約定を交わした時にはその約定を果たし、困窮と苦難と危機の時にあって忍耐する者であり、そうした者たち、彼らこそが畏れ身を守るものである。(2:177)



 信じる者たちよ、おまえたちには殺された者たちについて同害報復(キサース)が書き定められた。自由人によっては自由人、奴隷によっては奴隷、女性によっては女性である。ただし、彼の兄弟から何らかの許しを得た者(に関して)は良識ある対応を続けること、そして彼には至誠をもって履行すること。それはおまえたちの主からの軽減であり、慈悲である。それゆえその後に法を越えた者には痛苦の懲罰がある。(2:178)



 そしておまえたちにとって同害報復には生命がある。賢慮を備えた者たちよ。きっとおまえたちは畏れ身を守るであろう。(2:179)



 おまえたちには書き定められた。おまえたちの誰かに死が迫った時には、良いもの(財産)を残すなら、両親と近親たちに対し、良識に則った遺言が、畏れ身を守る者たちへの義務として。(2:180)



 それゆえそれを聞いた後にそれを挿げ替える者がいれば、それを挿げ替える者たちにこそその罪はある。まことにアッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(2:181)