日亜対訳クルアーン写経ブログ

(出典元) 中田孝[監修]・中田香織・下村佳州紀[訳]『日亜対訳 クルアーン [付] 訳解と正統十読誦注解』、松山祥平[著・訳]「クルアーン正統十読誦注解」、黎明イスラーム学術・文化振興会[責任編集]、作品社、2014

雌牛(177〜181)

 忠義とは、おまえたちの顔を東や西に向けることではない。そうではなく忠義とは、アッラーと最後の日、諸天使、啓典、諸預言者を信じ、その愛着にもかかわらず財産を近親たち、孤児たち、貧者たち、旅路にある者、求める者たちに与え、奴隷たち(の解放)に費やし、礼拝を遵守し、浄財を払い、約定を交わした時にはその約定を果たし、困窮と苦難と危機の時にあって忍耐する者であり、そうした者たち、彼らこそが畏れ身を守るものである。(2:177)



 信じる者たちよ、おまえたちには殺された者たちについて同害報復(キサース)が書き定められた。自由人によっては自由人、奴隷によっては奴隷、女性によっては女性である。ただし、彼の兄弟から何らかの許しを得た者(に関して)は良識ある対応を続けること、そして彼には至誠をもって履行すること。それはおまえたちの主からの軽減であり、慈悲である。それゆえその後に法を越えた者には痛苦の懲罰がある。(2:178)



 そしておまえたちにとって同害報復には生命がある。賢慮を備えた者たちよ。きっとおまえたちは畏れ身を守るであろう。(2:179)



 おまえたちには書き定められた。おまえたちの誰かに死が迫った時には、良いもの(財産)を残すなら、両親と近親たちに対し、良識に則った遺言が、畏れ身を守る者たちへの義務として。(2:180)



 それゆえそれを聞いた後にそれを挿げ替える者がいれば、それを挿げ替える者たちにこそその罪はある。まことにアッラーはよく聞き、よく知り給う御方。(2:181)